ご挨拶
1972年、わずか11名の先人たちが強い思いのもと、腎友会結成に向けての活動を始めました。翌年、16名の患者により「宮崎県腎臓病友の会」を結成、これが宮崎県腎臓病協議会(宮腎協)の始まりです。
当時の透析医療は、大変辛く苦しいものであり、加えて医療費助成などの福祉制度も無い中、先人たちは正に「命がけの活動」を繰り広げ、その結果、今の透析患者が恵まれた環境のもとで透析を受ける事が出来ているのです。その先人たちの思いを決して忘れてはいけません。そして、その思いをこれから先、透析導入となる患者仲間へ繋いでいかなくてはいけません。
宮腎協は、現在の医療・福祉制度を後退させることなく次代の患者へ繋いでいく事を最大の目的とし、そして、患者相互の情報交換や交流を通し、透析ライフを少しでも有意義なものに出来るように活動して行きます。
病院のベッドで腕を差し出せば「当たり前」のように透析を受ける事が出来る、僅かな負担で済む医療費、生活をする上での様々な福祉制度等々、これら全ては決して「当たり前」ではない事をしっかりと自覚し、そして、何よりも患者としてのモラルを大切にしながら歩みを進めて行きます。
●全国腎臓病患者連絡協議会(全腎協)が結成されました。 (1971)
●身体障害者手帳が交付され、人工透析治療が「厚生医療」「育成医療」の適用になりました。 (1972)
●宮崎県腎臓病協議会(宮腎協)が結成されました。 (1973)
●小中高生の検尿が義務づけられました。 (1974)
●腎移植手術が健康保険の適用になりました。 (1978)
●内部障害者にバス乗車運賃が半額となりました。 (1979)
●地方「腎センター」が整備拡充されました。 (1979)
●透析中の給食費が健康保険に加算されました。 (1984)
●CAPDが健康保険の適用になりました。 (1984)
●医療費改定で自己負担額が最高54,000円に引き上げられましたが、人工透析については「特定疾患」として、10,000円におさえられました。 (1984)
●厚生省に「腎不全対策推進会議」が発足し、全腎協の代表が参加するようになりました。 (1986)
●厚生省が「腎移植推進月間」を設定され、毎年10月に実施されるようになりました。 (1986)
●エリスロポエチン(造血剤)の製造が承認されました。 (1989)
●身体障害者に対し、JR(50%)、航空(25%)の運賃割引が適用されました。 (1990)
●財団法人「宮崎県腎臓バンク」が発足されました。 (1992)
●高速道路利用料金の割引が適用されました。(50%) (1994)
●HDF(血液透析ろ過)が健康保険の適用になりました。 (1994)
●診療報酬の改定で、透析時間の「5時間以上」が設定されました。 (1996)
●「臓器移植法」が施行されました。 (1997)
●初の脳死移植実施。1997年の臓器移植法施行後、最初の脳死移植が実施されました。 (1999)
●国民健康保険でも海外透析医療費の一部が還付されるようになりました。(2001)
●「改正臓器移植法」が施行されました。(2010)